シンプルに暮らしたい

自分にとってちょうど良いサイズの暮らしについて考えています

お金を何に払っているのか? 値段って何?

お茶の先生の娘さんはとても勉強ができ、

地域で一番の進学校の高校に合格しました。

しかも、その高校に行くにはほとんどの方が塾に通うのに、

娘さんは頑固に塾には行かず、自学で合格を掴んだそうです。

「すごく優秀ですね」と伝えると、先生は

「本当はね、塾に行って欲しかったのよ。」と言ったのです。

その言葉に私は驚いてしまいました。

 

塾に行かずに自分で勉強して合格したことに対しては

娘の努力を認めるけれど、親としては安心したかった。

塾の授業料は、親にとっては安心料なのよとのことなんです。

 

この視点は私にとって、とても驚きでした。

授業料というのは、授業を受けることに対する対価であり、

成績が上がるかどうか?ということに価値があるのだと思っていました。

それ以外の価値に気づいていませんでした。

授業料の支払いが親だということを考えれば、

「親を安心させる」という価値はとても大きなものだとわかります。

 

授業料が親の安心料という一面があることを考えると、

授業料は安価であることより、少し高いくらいの方が

「価値があるもの」として捉えられる可能性さえ出てきます。

同じ先生が同じ授業をしたとしても、値段が高い方が

受講生が意識高く授業を受けることも想像に難くありません。

 

詳細はうろ覚えなのですが、美容系のYouTuberの方の発言で

とても印象的なものがありました。

友人から「あなた化粧品にお金をかけているけれど、効果あった?」

と聞かれたときの回答です。

「私は化粧品にお金をかけているわけではないの。

自分の美意識に対価を払っているのよ」というようなコメントをしていたのです。

これを見た時にもハッとしました。

化粧品自体にも価値があるけれど、高い化粧品を買っている自分、

化粧品にお金をかけているという自分に価値があるということです。

 

自分でも思い当たる例があります。

お茶のおけいこをしている時です。

「今日は新年なので、いつもより高級なお茶を使いましょう。」

といつもと違うお抹茶が出てきました。

 

お点前をするという点では、どのお茶でも同じです。

手順が変わるわけでも、お茶の重さが変わるわけでもありません。

でもお点前をするときの気持ちが違うのです。

いつもより「お茶をおいしくたてたい」という気持ちが

大きくなり、丁寧にお茶を扱う自分があったのです。

そしてその時のお茶はとてもおいしく感じるのです。

 

塾の受講料も、化粧品も、お抹茶も、値段が高い方が

買う方の意識が高くなります。

つまり、通常より少し高い値段を払うということは

自分の意識を買っているということです。

 

自分の意識を高めることで、真剣味が増し、集中力や分析力を生み、

良い結果につながる確率も高くなりそうです。

 

自分の預金高だけを考えるのであれば、

同じものであれば安く買うことが望ましいですが、

結果まで考えると同じものでも高く買う方がいいかも知れません。

「安物買いの銭失い」という言葉は

こういうところにつながっているのかもしれない!と

目から鱗が落ちました。

 

意識を買う、という気持ちに気づいてからは

自分が買ったものが、自分が買った値段より安く売られていても

そんなに気にならなくなってきました。

もちろん大きく違う時には気になってしまうのですが。笑

 

お金を何に払っているのか? 値段ってなんなのか?

考える機会になりました。

これからも時折、考えていこうと思います。